「男らしい」や「女らしい」は悪ではない。それを誰かに強要したときに暴力となる。という話

2016/09/14

こんにちは。最近朝の連ドラにドはまりしているジャンです。あんなん朝から見せられたら泣くわ。主演の高橋充希さんは僕と同い年だと最近知りました。今日は「男らしさと女らしさ」について僕が考えたことを書こうと思います。

男は青で女はピンクなのか

僕がまだ幼稚園生の頃、複合型商業施設の中にあるサンリオのコーナーに連れて行ってもらいました。女の子はキティちゃんやマイメロディが好きでしたが、僕はおさるのもんきちや、けろけろけろっぴが好きでした。でも僕は空気が読めるお子様だったので、キティちゃんのこともかわいいと言っていました。心の中では「何がかわいいか全くわからん」と思っていたにもかかわらず!(嫌な子!)

そしてプラバンでキーホルダーを作ろうという催しをやっていたのですが、フックの部分を水色かピンクから選ぶことができました。僕はピンクが嫌いだったので水色を持って係のお姉さんのところに行きました。するとお姉さんは言いました。

「え、女の子なのに水色でいいの?」と。

これ!これがジェンダーだよ!今僕がその場にいたら「いやいやいや女の子が水色選んだらいかんのんか!だったらそもそもはじめから選択肢なんか与えるな!!」とお説教するかもしれません。骨なしチキンだから無理だけどね!!笑

男らしいは悪いことなの?

LGBTの話になるとよく「男らしいとか女らしいとかよりもその人らしさ」みたいな話になります。良いこと言ってるような気もするんだけど、う~ん。それってちょっとベクトルが違うんじゃないの?と思います。実際、僕は男らしい強さが欲しいと思うこともあります。MTFの友達も、「女性らしい恰好がしたい」と言います。その一方で僕は家事が好きだったり裁縫が得意だったり、背中で語るよりコミュニケーションをとりたがったりと、世間一般に言う「女らしい」ところも持ち合わせています。僕はそれに対して嫌悪感を感じることもありません。

「男らしい」や「女らしい」そのものが悪ではありません。しかしながらそれらを人に強要するとそれは暴力に値します。

LGBTと人権、みたいな話になるとどうしても「女らしい」とか「男らしい」とか言っちゃいけないんだ、人をカテゴライズしてはいけないんだ!という雰囲気になりがちです。しかし「男らしい」や「女らしい」が概念として成立しているのは事実であり、社会動物である以上他者を何らかの形でカテゴライズしてしまうのは仕方のないことでしょう。先述の通り強要すると暴力になるので、この暴力が生じてはいけないと僕は思うのです。

暴力とは「その人の可能性を封じる」事

暴力の定義を考えてみます。僕の思う暴力が行使された状態とは「その人が本来正当に持っていたはずの選択肢や可能性が封じられてしまう事」です。

f:id:PioneerLGBT:20160419154659j:plain暴力は肉体的なものだけではないという事。

僕はキーホルダーのフックの色は結局水色を選んだと記憶していますが、その際にもし僕が「ピンクを選ばなきゃいけないのかぁ…」と思ってピンクを選んだ場合には暴力が生じていると言えます。また、僕は小学生の頃、中学生になったらサッカー部に入りたいと思っていました。「体力がないと隣のお兄ちゃんみたいに学校から帰ってすぐ寝て宿題しなくなるかもよ!」と言われた僕は、小学6年生の頃からランニングを始めて基礎体力をつけていきました。しかし結果的に両親から「女の子だからダメ」と言われ、僕はサッカーをすることができず、なぜか硬式テニス部に入部しました。女子は入れないという決まりがあったわけではありません。実際に2つ上に女子の部員はいました。ただ、その方はとても上手で男子を入れても校内でトップ5には入るような実力の持ち主だったようです。これは僕の持っていた「サッカー部に入部する」選択肢(しかもそれは人に危害を加えるようなものではない正当なもの)が剥奪された状態に当たるので、暴力に値してしまうのです。※家族仲は悪くはないですよ!笑

結局はその人が本来の可能性を発揮できるか

前回のヒロトさんの記事で「日本人てその場の雰囲気にあった振る舞いが出来るかどうか、気遣いが出来るか出来ないかが大切な能力として判断される」という記述がありましたね。

3年後のLGBT業界を見据えていますか?現在のLGBTの活動から3年後に何が必要とされ、求められるかを考えてみた

それはいわゆる「構造的暴力」です。本来は国際政治学の用語ですが、分かりやすいので僕はこの言葉を使っています。誰かが直接ああしろこうしろと言ったわけではなくても、「その場の空気」に従う必要があるために選択肢が封じられてしまう。僕がキティちゃんを全然かわいくないと思っていたのにかわいいと言っていたのは、この構造的暴力に値します。その場の雰囲気に抑圧されて思ってもいないことを言うのも一種の暴力が生じた状況と言えます。

だからこそ、自分が本来の可能性を邪魔されないように、力を発揮できるように海外に行くのは一つの手段なのでしょうね。

まとめ

僕が今回言いたかったのはもう、タイトルの通りです。「男らしいも女らしいも結構!ただ、それを人に強要してはイカンのよ!」ってことです。

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