LGBTももっと外に出て行こうよ!非当事者の友達を持つことのすゝめ
2016/09/14
こんにちは、ジャンです。皆さんに友達はいますか?今日は僕が非当事者の友達を持つことを勧める理由をお話ししようと思います。
僕には彼女はいませんが友達はいます。
この記事貼りつけ過ぎやろ!って話ですが。
巻き込まれ体質
1人暮らしの頃家に宗教の勧誘の人が来ました。「友達はたくさんいらっしゃいますか?」と長いお話が始まりましたが、僕は最後まで「うんうん」と熱心に話を聞き続けました。すると最後にその方は「そこまで人の話に熱心に耳を傾けられる人なら確かにお友達は多いでしょうね」と言って、パンフレットを渡して帰っていきました。ええ、僕は宗教勧誘、マルチ商売に声をかけられることがとても多い、なにかとトラブルにも巻き込まれやすい、巻き込まれ体質です。
で、この巻き込まれ体質も生まれ持ってのモノ+僕自身が渡世術として身に着けてきたモノなのですが、おかげで友達も多い方だと思います。
僕の親友
僕には親友がいます。面と向かっては絶対に言いたくないのですが、彼を親友だと僕は思っています。男です。FTMでもないシスジェンダー異性愛者の男。まぁ話が合うんですよね。朝まで飲み明かしたり、家に泊めたり、失恋の傷をなめ合う旅をしたり、山奥に探検に行ったり…。一緒に風呂に入ってばか騒ぎする仲間の一人でもあります。僕はホルモンこそしていましたが胸とかはそのままです。でも普通に一緒に家族湯に入ってます。というか僕も胸がほぼない+やや筋肉質なのでぱっと見の女体感はあまりないんですけどね。普通はさすがに気になるでしょ。それを気にも留めないのが僕の友人です。
僕が最近気になるのは「FTMはFTM同士やセクシャルマイノリティの中だけに居過ぎ」であることです。「男友達のいないFTMは男じゃねぇよ」と言いたいわけではありません。ただ、もっともっとうちに籠らずに外に出るべきだと言いたいのです。
もっと外に出よう
世の中を見渡すと、当然ですがセクシャルマイノリティでない人の方が多いんですよね。あちらがマジョリティなわけですから。でもセクシャルマイノリティを見ているとそういうLGBT当事者の友達しかいない人が多いと感じるんです。これ、普通に考えたら不自然なことです。つまりはセクシャルマイノリティの人ばかりと交友しているんですよね。
「LGBTにもっと理解を!」と非当事者に呼びかける当事者はとても多い。でも僕は非当事者に呼びかけたい。「もっと非当事者に歩み寄れ」と。いくら「理解してくれ」と声高に叫んでも、実際は非当事者側の方が特に気にしていなくて当事者が気にしすぎなところはあると思います。今は「差別する側が差別される」ような世の中ですからね。
僕は虹色を掲げて運動をすることを悪いことだとは全く思いません。むしろいいことだと思っています。しかし、虹色を掲げることで満足して思考停止に陥らないでほしい。実際に社会の中で非当事者の権利を獲得するために必要なことは、草の根レベルで理解者を、アライを増やしていくことだと思うからです。
ものすごく仲良くて、カミングアウトしたら絶交されてしまった。そんなケースもあるかもしれません。でもそんなケースは今は少ないと思います。そうやってLGBT当事者が非当事者の誰かにとって大切な人の一人になれば、もっといい方向に社会を変えることができると僕は本気で思っています。
もちろんカミングアウトは絶対ではないです。でも社会を変えようと思ったらまずは近くにいる人を変える必要がある。その人を変えるとまで言うとおこがましい感じがするかしれませんが、僕と仲良くなってそういうLGBT問題に関心を持つようになってくれたという友達はたくさんいるのです。
だから僕は、当事者にはもっともっと外に出てほしいと思っています。
そして自分自身の視野も広がります。経験値が貯まる、ということです。
ここまで理解が進んできている世の中です。飛び出さないと勿体ない。カミングアウトをする場はご自身で慎重に選ぶに越したことはないのですが、それも結局場数です。
「LGBT当事者?尚更、良いじゃん。」カミングアウトは自己紹介。日本社会から逃げてきたLGBT当事者の私が海外存在意義を感じた言葉とは?
世界に飛び出すことをおすすめしているパイオニアですが、まずはセクシャルマイノリティという枠の中から飛び出してみるのはいかがでしょうか?