トランスジェンダーと学校生活―ギリギリまで悩みぬいて欲しい理由
2016/09/25
こんにちは、ジャンです。今日は以前お話した高校生に会うための準備記事第2弾です。
いよいよ今週末
高校生に会ってくるよーと言う記事を以前書きましたが、それがいよいよ今週末、7月1日金曜日に迫ってきました。
以前はカミングアウト記事だったので、今回は学校生活について書こうと思います。
僕が違和感に気付いた日
「いつ自分が男だって自覚したの?」
僕がよく聞かれることの1つです。いつ?と言われると、いつなんだろう?でもシスジェンダー(心と体の性が一致している人)の皆さんも「あ、私は女だ!」「僕は男の子!」なんて自覚した瞬間はないんじゃないかと思います。
ただ、「自分は周りの子とちょっと違うんだな」と自覚した時はあります。
3歳か4歳くらいのある日のこと、僕は祖母の家に遊びに行っていました。祖母はお米やら野菜やらをくれたのでそれを車に運ぶ最中でした。僕は当時自分のことを周りから呼ばれるあだ名で呼んでいたのですが、その日初めておばあちゃんに「それ僕が持つよ」と言いました。おばあちゃんにしてみればびっくりですよね。だって孫娘が自分のことを「僕」と呼んだのですから。
僕は自分をあだ名ではなく「僕」と呼んだことで、ちょっぴり大人になったような、誇らしい気持ちすら感じていました。そんな僕におばあちゃんは言いました。
「あらありがとう。でもね、わたしって言ってくれたらもっと嬉しかったな」
その時、幼いながらになんとなく気が付きました。周りの人たちは僕が男の子のようにふるまうことを喜ばないし、いい気持ちがしないのだろうということに。女の子らしい物を好んだ方が周りの大人は喜び、いい気持ちになるのだ。それならば、そう振舞うのが正しいことだと。僕は昔からあまり子供らしい子供ではなかったんですね。
こんなかわいくなかった
学校生活
ジョーズはジョーズでもサメではなくて「世渡りジョーズ」な僕は、うまいこと学校生活を送っていました。とにかく先生や親の言うことをよく聞くタイプ。幼稚園小中高ずっと制服だったので、スカートが嫌だ!と暴れたこともありません。水泳も泳ぐのが楽しかったので多少抵抗はありましたが、まぁ楽しく泳いでいました。小学生の頃は髪も長くて男の子にもそれなりに好かれていました。男女ともに仲良しでした。「男みたいだな!」なんて言われていじめられたこともありません。
高校生の頃は漫才をやっていて、同じ高校の人には他の学年であっても僕を知らない人はいないくらい有名になっていました。握手を求められたり、「話してみたかった!」と言われたり。人生でもう2度とないであろう人気者状態でした。
ニヤリ
そんな中、僕が悩んでいなかったかと言うとそんなことはないんです。毎日毎日ぐるぐる悩んでいました。そして僕は金八先生も見ていなかったので「性同一性障害」のことはよく知りませんでした。高校2年生の頃ラストフレンズを見てちょっと知りましたね。そもそも元気で学校に通っていたので自分が「障害」だなんて思ったことはありませんでした。それでも「男になりたい」「男だったらよかったのに」とは思っていましたし、女の子を好きになっては悩んでいました。ただ、周りから見れば何の問題もない生徒だったと思います。むしろ順風満帆な高校生活を送る学生に見えていたかもしれません。頭は悪かったし、部活でも弱かったのですが友達は多く、先生方にも気に入られていましたからね。
そして前の記事で書いたように高校3年生で初めて親にはカミングアウトしたのですが、その日僕は遅刻して学校に行きました。職員室に行って担任の先生に遅刻届を出したときに、近くに座っていた先生が言いました。
「あれ?いつも元気な○○(苗字)さんらしくないねぇ」
と。
「アンタに何が分かるんだよ。こっちが人に言えないことでどれだけ悩んでると思ってんだ」と一瞬思いました。でも、悩みを隠しているのに分かってもらいたいだなんて、そんなのとんだお門違いです。傲慢にもほどがある。
そうだ、求められているのはくよくよ悩んでいる私じゃないのだ。「いつも元気で明るい私」を最後まで演じなければ、自分に価値はない。本気でそう思っていました。他でもない僕自身が自分を追い詰めて削っていきました。
僕にとって中学高校時代と言うのは、そういう時代でした。決して楽しくなかったわけじゃない。でも、二度と戻りたくはないような、そんな時代です。
できる限り悩んでおいてほしい
そんなふうに悩んだ僕も前回のカミングアウト記事の通りカミングアウトしていったわけですが、できれば今悩んでいる人にはそうやってぎりぎりまで悩みぬいて欲しいと思います。同じように苦しめ!ということでは決してなくて。
今、LGBTに寛容な社会にどんどん変わってきています。小学生のうちからカミングアウトする子も出てきています。それが間違っているとは思いませんが、必ずしもそうあるべきだとは僕は思いません。悩んで悩んで悩みぬいたその先に今の自分がありました。まだまだ何もわかっていない無知で無力な若者ですが、こうやって悩んだからこそ気付いたこともありますし、他人に多少優しくなったのではないかと思うのです。
カミングアウト→診断書GET→ホルモン→オペ→戸籍変更という流れがあまりにも当然とみなされ過ぎている。それだけが人生の目標になっている人がいる。何度でも言いますが、それらはより良い人生のための手段であり、目的ではないのです。
ああくそ、もう死んでしまいたい。そこで本当に死んだら人生GAME OVERなわけですが、生きている限りは無限にコンティニュー可能であるのが人生というゲームです。マリオは3回くらい死んだら終わりでしょ。でも人生は、スッ転んだところから立ち上がってまた始められるんです。何度でも。そして自分の力で立ち上がった後は、今までよりもずっと強くなっているものです。
でももちろんその中で苦しみ過ぎておかしな方向に行ってしまう人もいます。そうなってしまうのは阻止しなければならない。周りが手を差し伸べてくれるとは限らないし、簡単にへこたれないだけの力をつけて行かないと、マイノリティはやっぱり生きづらい。
悲しいことも辛いこともあります。でもそれはセクシャルマイノリティだけではなく、普通の人だってそうなのです。高校時代の僕がはた目から見て何の問題もない学生に見えていたように、あなたの周りの何の問題もなさそうな人が実は大きな悩みを抱えている、そんなものなのです。そうしたことに敏感なって、気が付けて手を差し伸べられるようになるのが「優しくなる」ということなのではないでしょうか。