性同一性障害の当事者である私(ヒロト)がLGBTインタビューを受け不快に想うたった1つの質問〜性同一性障害取り扱い説明書〜
2016/09/29
ニュージーランドに来てから性同一性障害の当事者として体験談を日本語学校で語ってほしいというご依頼を頂きました。その方は、私と同じ敷地内に住む隣人Mさん。現地日本語学校で長年、教師をしているMさんからの「子供達に性同一性障害について理解を深めてほしい。」当事者ではない、一人の子を持つ母親であるMさんからの熱烈なオファーは率直に嬉しかった。がしかし、そのインタビューは私の中で一生、忘れられない不快な体験となった。
ニュージーランドに引っ越してきて割とすぐ、「性同一性障害ではないか?」という話をもちかけてきたMさん。その距離感にぞっとしたが、日本語教師として評判の良い教育熱心な方だと思い、耳を傾ける事にした。
それでも、私自身、性同一性障害やLGBTという言葉から逃げるために海外へ渡航した事もあり、正直、ほっといてほしいといった気持ちもあった。それでも、私の存在が誰かの未来への1つの道標になればと思いインタビューに応じる事になった。インタビューの仕方は至ってシンプル。Mさんが私の家に来て1対1で行うものだった。その内容に基づき小説を書き、子供達に性同一性障害について理解を深めてもらうと。
もし性同一性障害にあなたが直接、インタビューする時がきたら絶対に踏んでほしくない地雷教えます
シングルマザーのMさんはやたらと悩みが多い人だった。口を開けば人の皮肉や悪口ばかり。「きっと私もどこかで悪口を言われているのだろうな。」そう思っても隣人だったから住みやすくしていくためにインタビューはただ受けるという選択肢しか私にはなかった。正直、考える暇もなく、Mさんが家の扉をノックしてきた。
私が長年、抱えていた核の部分に触れる覚悟があるのか?
何度も言うが、私は正直、LGBTや性同一性障害という言葉から逃れるために海外へ来た。その言葉に近づく勇気さえもなかった。その言葉の定義と世間からこうであろうという決められた枠に私は自分を収める事が出来ず、自分を語る上で一切、その言葉を使わずに生きてきた。
私はヒロトという人であり、性同一性障害者という人ではない
「男でも女でもないヒロトという人が好きなの。」
「男でも女でもないヒロトという人が好き。」だから手術じゃなくて海外移民という道を選ぶ。全ては彼女の夢「お母さんになる事」を叶えるために
私を語る上で性別は不要だった。女だから男だからではなく、ヒロトだから。正直、性同一性障害と認めるのでさえも未だ違和感を覚えるし、その核に触れるという事は闇に包まれた自己をさらけ出さないといけないようで私は怖かった。
人間誰しも、誰だって知られたくない核の部分がある
そっとしてほしい。ずっとそう思って生きてきた。私は金八先生、上戸彩世代なので、当時、性同一性障害という言葉が世に出てきた時は正直、焦った。自分の知られたくない事を知られる。自分が性同一性障害てばれてしまう!もはや恐怖だった。カミングアウトしよう!理解ある世の中へ!当時、中学生の思春期真っ盛りな私はお願いだから、その言葉たちをどうかこれ以上、世に広めないでほしい。でないと自分の知られたくない核がばれてしまう。そういう気持ちでいっぱいだった。私が今の日本のLGBTのアプローチの仕方に心から賛同出来ないのは、言葉を広める一方で本当に悩んでいる人の生き方を狭めてしまう、生きずらさを感じさせてしまう圧迫状態を創生しているのではないかと考えているからだ。
ただ、一人の人としてみとめてほしいだけ。特別ではない、私は私
あさひの当日挙式イベント密着動画を最後までご覧頂けましたでしょうか?最後のエンディングのメッセージこそ性同一性障害の当事者である私の真の想いのメッセージ。
包み隠さず伝えたい、自分は特別でなく、一人の人間であるという事。性同一性障害でも白に近い白、黒に近い黒、例えば、手術を望む人、望まない人がいるように人それぞれ違うのだ。私は手術を心から望んでいたが、手術はしていない性同一性障害の当事者だ。人生の一瞬ではなく、長い目を見て愛するパートナーと1日でも長く生きる手術をしない道を選んだ。ホルモン注射の効果や寿命が縮む事。セックスや子供をつくれない根本的な問題が解消されない事。
自分の器を知る!自分はどれほどの事を受け止める事が出来るのか?
私は自分の器を知っています。自分はそんなに器が大きくありません。手術をしても結局、問題は消えず、むしろ手術によっての後遺症やホルモン注射のお金等、パートナーとの生活を考えていくと自分は手術をしたとしても、一時的な満足感は得られるだけで、長い目をみて後悔すると思った。
私のサッカーの先輩は5人以上、手術を行い性別を変えた。身近にそういった存在がいたからこそ何度も手術と向き合ってきた。手術を肯定し続けていた自分もいた。それでも自分が幸せに生きていく上で手術は必要条件であるが、十分条件ではないと判断を下した。そんな私にMさんはインタビューでこう投げかける。
どうして手術しないの?手術をすれば幸せになれるじゃないのか?
私はこの言葉で悔しさを覚えたのを今でもはっきり覚えている。この質問が不快に感じた事も。性同一性障害=手術=幸せ。 確かに今の日本は性同一性障害といったら性転換手術の独占寡占状態だ。性同一性障害者は手術さえすれば幸せになれると思われている。手術こそ幸せという考え方。性同一性障害なら手術すれば良い。本当に全員そうなのか?いや、違う。でも、率直な想いを言うとそれしか考えられない。日本にいたらば。白か黒なの?何事もハッキリさせないと生きていけないからだ。
まとめ
きっかけは些細な事。誰にでも認めて欲しい、だけど、誰にも気づかれたくない。そんな混沌とした想いを性同一性障害という言葉一つで括らせられない。性同一性障害という言葉で生きやすくなったのか?当時の私は逆に肩身が狭く辛い想いをした。お願いだからそっとしてほしい!性同一性障害、性転換、世に広まった瞬間に、私も手術こそが正義だと感じてしまった。性同一性障害の私が幸せになるには手術しかない!今まで自分の存在てなんだろう!と意味を求めてサッカーや勉強に打ち込むことで創生してきた自分。それらが手術という「外見をフォーカスする自己へのアプローチ」によってどことなく壊れてしまう気がした。そんな自分と出会った時、怖かった。
性同一性障害という言葉で違和感を覚えるぐらいが丁度良い
私は自分の器が大きくないので、自分は性同一性障害である事を知っているが、周りにそれを定義される事に違和感を覚えます。「性同一性障害だからトイレはどっち?制服は?」え?誰かに決められるぐらいなら、自分で決められる環境へ移動して自分で決めてやる。性同一性障害はこうです!こうなんでしょ?そういう言葉を言われる度にこの人は個性ではなく言葉をみているなって思う。
LGBTを受け入れろ!理解する!正直、理解は根本的に出来ないと私は考える。私もインタビューされたけど、本当の核の部分は伝えていないから。と、いうか伝えられません。私も性同一性障害という言葉が何なのか分かっていないから。私は性同一性障害という診断書を頂いている。それでも、自分てなんだろう?て自分の事は未だに分からない。男性の制服で職場に勤務しても、家では女性専用のフラット(シェアルーム)で暮らしていた方が快適だったり、息子がいる同僚とは男としてみてもらえる事で打ち解けれたり、その逆で女子サッカーしていたと伝えれば重宝される時もあったり。
診断書をもらっても、性同一性障害当事者であっても、性同一性障害という言葉の意味は分かっていません。それなのに環境や整備を整えるのってまるで裸の王様だ。
日本は性同一性障害という診断の後に性転換手術と手順化されているため、若い世代はこの流れを受け入れる事しか出来ない。それでも、私みたいに性同一性障害者であり、手術を熱望していたけど、手術せずに海外就職している人の存在て新たな流れになる事を信じている。性同一性障害という言葉で自分を表現できない人、表現してしまったけどこれから迷っている人へ私は今やれる事、情報を発信し続けます。