「らしさ」にこだわりすぎないー固定概念を疑ってかかろう
2016/09/25
こんにちは、ジャンです。今日は僕が読んで面白かった記事について書こうと思います。
「らしさ」を考える
最近この記事を読みました。
この記事は以下の質問から始まります。
Q:俺は世の中がどう変わろうと、「男は男らしく」「女は女らしく」が理想だと思っている。自分も常に「男らしい生き方」を目指している。しかし最近は、男が軟弱になり女が生意気になってしまった。「もっと男らしくしろ!」と言えば「古い」と笑われるし、「もっと女らしくしろ!」なんて言ったらどんな反発を食らうかわからない。「男らしさ」を大切にするのは、そんなにいけないことなのか。(佐賀県・28歳・住宅設備)
僕も以前「男らしさ」と「女らしさ」に関する記事を書きました。それを読んでいただければわかると思うのですが、この質問者が言うことが全く分からないわけではないんですね。「古いなこいつ」とは思うけど。笑
そしてこの記事のいいところが『「らしさ」を疑ってかかろう』と言っているところなのです。この文に僕は納得しました。
「立派な人間になりたい」と思って努力するのはいいとして、「らしさ」というマニュアルを拠り所にするのは、ちょっと怠慢な姿勢かも。しょせんはお仕着せだし、一面的な価値観に基づいたものでしかありません。そのくせ、伝統や文化といった根拠があるような錯覚を抱けるので、何も考えずに身を委ねれば偉そうな顔ができるという便利な性質もあります。
「らしさ」とは、つまりは「固定概念」であり「常識の押しつけ」です。おとなしく従う必要なんてありません。「男らしさ」だの「日本人らしさ」だのを振りかざす人は、ロクなもんじゃないと思っていいでしょう。
「大人らしさ」「女らしさ」「日本人らしさ」「ニートらしさ」、らしさとはつまり、多くの人がピンときて納得するとある集団のアイデンティティのことなのでしょうが、ここに縛られると身動きが取れなくなってしまいます。押し付けられた常識の中にいる必要はないのです。
LGBTという言葉にとらわれすぎてもいけない
LGBTも同様で、その枠があるからと言って「ゲイだから」「トランスジェンダーだから」と考えているとがんじがらめになってしまいます。性別とはグラデーションであり、考え方や趣味が100%男、100%女、なんて人はなかなかいないでしょう。
例えばレズビアンなのにだれかに「ピンときて」もらうためにftmだと名乗る、トランスしたいが周りに「納得して」もらうために生まれた性別を演じながら生きる。でもそんなことしても、周りとしてはどうでもいいんですよね。
僕は自分の能力に自信はありません。しかし、誰よりも自分らしい自信はあります。自分らしさがあればどこにいても自分を見失わずに済みます。でも結局のところ、この「らしさ」にこだわりすぎると自分を見失ってしまうし、それだけを指針にしていると全然面白くない人間になってしまう。僕が他のパイオニアメンバーの記事を読んで面白いと思うのは、それぞれがそれぞれらしくあるからなのでしょう。ヒロトさんもあさひくんもそれぞれが「トランスジェンダー」やら「エックスジェンダー」やらの枠にとどまらない、らしさを持っているからなんですね。
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僕は人をカテゴライズして本質を見ようとしない人があまり好きではないです。「ゆとりだから」「若いから」「外国人だから」そうやって小分けして分析するのが悪いことだけではないし、必要なことではあるのですが、結局それは一人一人の人間を見ることを怠っているのです。
僕はかねてからそのように考えていましたが、それが他人を見るときだけでなく、自身がどうありたいかの指針にする時にも言える話なのだとこの記事を読んで目から鱗でした。
枠にとらわれているうちは指針があって安心感もあります。でも、自分で指針を作る、自分らしさを生み出していくのも楽しいことだと思います。
是非ご一読ください。