FTMのパス度のことを考えてみた
2016/09/14
こんにちは、ジャンです。お盆真っ盛り、皆様はいかがお過ごしでしょうか?今日は僕の今のバイト先の話をしたいと思います。パス度のお話です。特に結論はない、のんべんだらりとしたお話です。
パス度について考えてみる
謎の心のざわめき
さて、僕が今働いているのはこの辺りでは名前を聞いたことがない人はいないであろう有名な飲食店であり、このお盆の時期が忙しさのピークに達するお店です。7月から僕はここで男性として働いています。僕がFTMであることを知っていると明確に分かっているのは2人のみです(他にもばれてるかもしれないけど)。
そんなわけで一緒に働いている人の大半は僕を男性だと思っている上に、こんな会話が発生します。
男性社員さん(以下男)「帰りはバス?」
僕「そうですね、バスか自転車です」
女性社員さん(以下女)「駄目よ教えたら!おじさん(=男性社員さん)が家までついてくるよ」
男「そうだよ~って僕はホモじゃないですからね」
僕「あっはっはっは、おつかれさまで~す!」
なんだろう、男だと思われていてうれしい気持ちと、ホモネタは良くないぜよ!っていう正義感と、今このオフィスで僕の本当のことを知っている人はこの会話を聞いてどう思ったんだろうという単純な興味と...いろいろなものが沸き上がりました。
ばれてんの?ばれてないの?
僕もごく普通のFTM(?)なので、それなりにパス度は気になります。本当に男だって思われてるのかな?女ってばれてるんじゃないかな?なんて。でもそんなこと気にしてもしょうがないよなぁと最近では思うようになりました。
僕はホルモン注射はやめていますし、背も女性の中でも低い、力はある方ですがそれも女性の中ではある方なだけで、男性の中で比べたらない方に入るでしょう。
見る場所を見れば女であることは分かります。首、手足、腰回り...男性と女性の差を埋められないような箇所を僕たちは特に把握しています。
でも意外と周りの人はそんなものは見ていないんですよね。もっと一般的な「男っぽい」「女っぽい」という枠で他人をカテゴライズしている。髪が短いか長いか、声が高いか低いか、化粧をしているかしていないか、腕が体に対して太いか細いか。髪が短い女性もいるし、化粧をしない女性もいるし、声が高い男性もいるし、腕がごつめなお姉さまもいらっしゃるにも関わらず、です。
見る人が見れば体が男ではないとすぐに分かりそうな僕ですが、働いているときもお客さんにお兄さん!と言われるので、そんなもんなのでしょう。
理想論に世の中が追いつくまで
僕がホルモン注射を始める前、弟は言いました。
「そんなことしなくたって、体は女でも心は男なんだって説明すればいいじゃん。周りがそうやって認めてくれればいいのに」
そうです。弟が言っていることは正論です。理想論です。でも、世の中はその理想論に追いついていない。女にしか見えない人を男扱いできないし、男にしか見えない人を女として扱うには無理がある。当たり前です。
「人は見た目じゃない、中身だ」
そうですね。そうかもしれない。でも、実践的な意味で、本当にそう言えるでしょうか?ヒトが得る情報のほとんどはビジュアルが8割を占めています。オネエタレントがいじられてテレビにバンバン出るのに、FTMはテレビにバンバン出ないのは「ビジュアル的に面白くないから」です。オネエタレントの「女の格好をしているのに男」というちぐはぐ感がFTMにはなかなかでない。
だからと言って、見た目だけパスすればいいって話でもない。中身がない人間はどこに行ったって大事にされないからです。逆に言えば中身があればどこに行っても大切にされるし、人に対する影響力を持てる。
ただ、女に見える人を女扱いしないことはできます。男に見える人を男扱いしないことも。要するにこれが「理解が広がった状態」なのかもしれません。
僕が今回の記事でただ一つ言えること、それは「自分が思っているほど他人は自分の見た目を気にかけてはいないけど、他人が見た目で人を判断するのはこの先しばらく変わりそうもない」ということです。