家族が大事だからこそカムできない―祖母の死とカミングアウトの話
2016/09/14
こんにちは、ジャンです。実は明日は祖母の命日です。ftmの僕にとって祖母は自分のセクシャリティの問題を考えるときのキーパーソンでもあります。今日はそんな祖母と、カミングアウトのことについてです。
「花嫁さん姿が見たいね」が祖母の口癖
14年前、僕が小学5年生の頃に祖母は亡くなりました。僕にとっては初めての「身近な人の死」でした。祖母が亡くなって、僕はわんわん泣きました。人が死ぬというのが、もう2度と会えないというのがこんなに辛いことなのかと初めて身をもって知ったのでした。
数日は祖母のことを思い出して涙が出る日が続きました。トイレで一人になったとき、寝る前、宿題をしながら。何のつながりもないふとした瞬間に思い出しては悲しくなることがしばしばありました。
「おばあちゃんに何もしてあげられなかった」そう考える中で祖母の口癖を思い出しました。
「○○ちゃんの花嫁姿を見られるように元気でおらんならねぇ」
祖母はことあるごとに、花嫁さん姿の話をしていました。それが祖母にとっての最大の喜びであるかのように。そして僕はその度に、子供だからよく分からない、というようなフリをしていました。本当は祖母の望みも、自分がそれをやってのけられなさそうであることも含めてちゃんと理解していたにも関わらず、です。
僕は祖母のその言葉が重荷だった。でも祖母が亡くなってそのセリフを思い出したとき、「これでもう花嫁さんにならなくていいかもしれない」と心が軽くなりました。でも次の瞬間、大事な人が死んだのにほっとしてしまった自分に嫌気がさして、悲しい気持ちになりました。自尊心というものは、こうやって削り取られていくのでしょう。
大事な人を思うと本当のことが言えなかった
以前も書きましたが、僕が人とは少し違うと感じるようになったのは、祖母が関係しています。自分のことを「僕」と呼んだ3、4歳頃の僕に対して祖母は「私って言ってくれたらうれしかったな」と少し困ったように笑っていたのでした。そんな祖母の顔を見ると、「自分は女の子ではない気がする。男の子だと思う」なんて言えなくなってしまったのでした。それから十数年、僕はカミングアウトすることができませんでした。
ただ、僕は祖母のことは大好きでした。祖母が大好きだからこそ、もう自分のことをしばらく「僕」と呼べなかったし、花嫁さん姿の話をされてもはにかみ笑いで何も言わずに、その話題が通り過ぎるのをただじっとこらえることしかできなかったわけです。
祖母が亡くなってからも僕にとってのカミングアウトは「大事な人をがっかりさせる」であろう行為だったのです。
もしかしたら、祖母が生きていたらカミングアウトが遅れるか、もしくはしていなかったかもしれません。そんなことは恐ろしくて考えたくない。でもその一方で祖母にもっと生きていてほしかったと思う。恩返しをさせてほしかったと思う。矛盾を孕んだ僕の祖母への思いが、この時期になると頭を駆け巡ります。
親族へのカミングアウト
だからと言って、今の姿を祖母に対して隠そうとは思いません。実際に祖母が生きていた場合に彼女が僕を受け入れてくれたかどうかなんてもうわからないのですが、僕は祖母は今の僕でも応援してくれているだろうと勝手に考えています。
家族にカミングアウトをするのが難しいのは、また、カミングアウトされた家族がそれを受け入れるのが難しいのは、その人が大事だからです。
言ってしまえば家族以外の他人からしてみると、僕が女として生きようが男として生きようがどうでもいいことなのです。でも家族にとっては「どうでもいい」で済ませられないくらい大切だから、お互いぎこちなくなってしまうのでしょうね。
おばあちゃんも孫娘がこの仕上がりになっているとは思うまい。
若干おっぱい見えてる
明日は祖母の遺骨がある納骨堂に行ってこようと思います。