まだまだ見えないLGBT〜目に映らないと始まらない、変えられない〜
こんにちは、Cocoです!人って、見えない物には意識が向かない。意識が向かない物には、興味も湧かないし、見ようともしない。何かを変えようとしたとて、まずはみんなの目に止まらなければ何も始まらない。今回は、そんな見えていない物のひとつ「LGBTの可視化」の必要性について考えてみました。
広がりつつあるLGBTという言葉、でも...
昨今、メディアでも取り上げられる様になったこの言葉。しかしLGBTという単語を使うと「え?何それ?」と言われることもまだまだあります。そういう時「レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字だよ」と説明して初めて「ああ知ってる!」となるのですが、やはり深いとこまでの認知には至ってないんだなー、と感じます。
私はカナダに住んでいるのですが、街中いたるところでレインボーのステッカーやフラッグが目につきます。LGBTという言葉を説明できない人はいないし、すでに同性婚も認められているこの国で暮らしていると、やはり日本との認知度の差は大きいのでしょう。
そんなカナダに滞在している日本人の方の中にも「LGBTというワードは聞いたことはあるけどイマイチよくわからない」という人と結構出会います。
そんなことから、思っていた以上に日本の環境で育った人は色々なセクシュアリティの存在を意識していないものなのかなー?なんて考えてしまいます。
見えないから知らない
LGBTフレンドリーといわれるカナダでも、自分がLGBT当事者だと出会ってすぐに話してくれる人もいれば、言わない人もいます。
だけど、ずっと隠したままで暮らしている人はそうそういません。「オレ、背の高い男がタイプだから紹介してよ」などと、冗談交じりでさらっと会話にそんな言葉を入れてくれたりすることも多いです。カナダに来てから、学校や職場でそんな風にさらりとカミングアウトしてくれる人たちにもたくさん出会いました。もちろん仲良くなって、ある程度の信頼関係ができたと思った上で話してくれたのだと思います。
しかし日本では学校や職場でカミングアウトしてくれる人とはあまり出会わなかった。だからカナダに来たばかりの頃は「みんな、こんなに自然に言ってくれるんだ」という驚きもありました。
そしてそれはとても嬉しいことでした。周りの当事者の人が言ってくれれば、生活する中でLGBTがちゃんと見えます。例えば自分の同僚が何かのきっかけで例えば「俺バイセクシュアルだから」と言ってくれれば、その人のことがもっと深く見えてきます。そしてその人を通じて、様々な違いを持ちこの社会で生きている人間模様が浮き上がってきます。
じゃあ、今の日本の社会ではどうでしょうか?学校や職場で「オレ、彼氏と同棲中なんだ!」などとと話してくれる人に出会う機会は極端に少ないのではないでしょうか。当たり前に身近にLGBTの人はいるのにもかかわらず、全く見えないその存在。
なぜ見えないのか
自分のセクシュアリティをカミングアウトすることって、不安や恐怖、様々なリスクを伴うことと切り離せない。やっとパートナーシップが取れるようになったくらいの日本の社会では、セクシュアルマイノリティであることが「特別」なことであるかの様な存在になり、色々な壁にぶち当たることがあります。
偏見の目もまだ少なくない。学校という狭い世界から出て、大人になっても私たちはほとんど何かしらのグループに所属している。グループの中にいれば、マジョリティとマイノリティも一緒にひっついてくる。
例えば会社で、冗談でも「結婚はまだか」「お前はホモか!」などという会話が耳に入る場所ならどうでしょう。育児休暇などの福利厚生の対象も異性カップルにしか対象にならない。そして実際そういった会社が多いのが現状。
異性と交際し結婚することが当たり前という風潮の世界では簡単に他人に自分のセクシュアリティを周りに話すどころか、人を信じることすら躊躇してしまう。思い切ってカミングアウトしても、周りの反応が良くなかったら?様々な問題が降りかかってくるだけかもしれない。
これではLGBTという言葉が広がっても、身近に当事者の存在が見えることがないのは当たり前なのでしょう。
もっと見えてほしい
わざわざ自分のセクシュアリティを誰でも彼でもにカミングアウトする必要はもちろんないです。カミングアウトすることで「セクシュアルマイノリティ」という何かレッテルのようなものを貼られる気もするし。だけど、本当の心をドアの向こうに閉じ込めたままでは、本当に見なきゃいけないものが見えないまま終わってしまう。
じゃあ、今できることはなんだろう?色々な時代背景を持つ人間が混ざって暮らす以上、完璧な理解を全員から得れるなんて思っていない。きっと「知らないなら教えてやろう」と立ち上がってくれる人が一人でも増えてくれることが必要なんじゃないか。
今までも私達人間は様々な「マイノリティの問題」にぶち当たってきました。女性の権利や人種差別などの問題も、だんだんと声が上がり、存在が見えるようになってからやっと改善されていきました。
見えないままでは誰も気づくこともなく、どこが問題なのかも浮き彫りにならない。変えようとしても、可視化されていないものは気付くこともなく、人々は通り過ぎて行ってしまう。それでは、何も変えようがない。
今見えていないセクシュアルマイノリティをもっと見たい、そして見てほしいと私は思います。
貴方の周りを変えようとしてもほとんど意味がない。まず最初に、自分の信念を変えなさい。そうすれば、貴方の周りのあらゆることがそれに応じて、変わる。
ブライアン・アダムス
LGBTでもストレートでも、マジョリティでもマイノリティでも、日本人であろうがカナダ人であろうが。みんなが自分らしく、かっこよく生きる世の中に、きっとなる。
とりあえず、私もジャンさんと一緒にぽいぽいヒトデを投げ続けたいと思っております。