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2018年2月25日完 パイオニアのご愛読ありがとうございました!

セクシャルマイノリティに必要なものは法整備でもハードでもなくて「社会的承認」―二つのLGBTニュースから問題の本質を考えてみた。

2017/03/04

こんにちは、ジャンです。セクシャルマイノリティの受け入れ態勢を整えよう!となったときにどうしても法整備、ハード面の整備が注目されがちです。しかし、本当に重要なのはそこなのでしょうか?今日は先日あったLGBTに関する2つのニュースから、当事者の僕が思うLGBTの本質的な問題について書いてみます。

最大の問題は「後ろめたさ」と「自尊心」

まずは1つ目のニュースです。こちらは嬉しいニュース。

同性婚先行導入州で高校生の自殺率低下、米調査(AFPBB NEWS)

 米国で連邦レベルでの合法化を前に同性婚の権利を認めた州では高校生の自殺および未遂の発生率が低下したとする調査結果がこのほど発表された。

(中略)

調査研究を率いたジョンズ・ホプキンス大学(Johns Hopkins University)のジュリア・レイフマン(Julia Raifman)氏は、「同性婚の承認は、性的指向に関連する社会的なスティグマ(レッテル貼り)を低減させると指摘。「平等の権利を持っているということと関連しているのかもしれない──たとえその権利をすぐに行使する計画がなかったとしても。これにより生徒たちの後ろめたさは低減し、将来への希望とつながる」と説明した。

同性婚先行導入州で高校生の自殺率低下、米調査(AFPBB NEWS) より引用

ということだそうです。ジュリア・レイフマン氏の言うように、すぐに結婚するわけはないセクシャルマイノリティの高校生も同性婚が合法化されたことによって「社会的承認」を得られたように感じたのかもしれません。

2017年、メディアでも頻繁にLGBTのニュースが取りざたされている今、自分が高校生だったらそういう思いはしなくても済んだかもしれない。そう思っていました。

しかし同じく昨日、こんなニュースもありました。

「自尊心傷つけられるLGBTの子なくしたい」学習指導要領の案に多様な性の記載ゼロで呼びかけ

文部科学省は2月14日、小中学校の学習指導要領の改訂案を公表した。

改訂案では、小学校の指導要領案に、「思春期になると異性への関心が芽生える」と記載されるなど、LGBTなど性的少数者が教室にいることを想定した記述は一切なかった。

「この案では、LGBTなどの子どもの実情にそぐわない内容となる恐れがある」として、当事者らは指導要領に対するパブリックコメントを送るように呼びかけている。

(中略)

全体で2974件寄せられたパブコメのうち、室井さんら呼びかけチームの調査ではLGBTなどの多様な性を教えるべきだとするコメントが約12%にあたる368件にのぼった。文科省が公表したパブコメの意見集約でも紹介された

しかし、2月14日に公表された学習指導要領案には、こうした意見は反映されていなかった。

パブコメを経たにもかかわらず、小学校の改訂案で体育の内容に「思春期になると異性への関心が芽生える」と記載があり、中学校では保健体育で「身体の機能の成熟とともに異性への関心が高まったりする」との記載がある。これは従来通りの内容だ。

「自尊心傷つけられるLGBTの子なくしたい」学習指導要領の案に多様な性の記載ゼロで呼びかけ より引用

うーん、このニュースはちょっとショックでした。未だに変わらないもんなんだなぁと。教育の現場が変わらないのは痛手だと思います。

僕が塾講師をしていたころ、一人の生徒が嬉しそうに文化祭の話をしてくれました。

「今日文化祭でね、柔道部のごっつい先生が女装しててね、すっごい面白かったの!」

その子は嬉しそうでした。でもたくさんの生徒の中にはきっと自分の性別に違和感を感じていた子もいるかもしれません。もしそんな子がいたのなら、先生が女装をして笑いをとっているのをどんな気持ちで見ていたのだろう。僕はそう思わずにはいられませんでした。

(かくいう僕も性別ネタにして笑いとってますけどね。)

そのままでいいよ、と言ってもらえること

僕は性同一性障害(性別違和)のFTM(Female to Male:女性から男性)です。

セクシャルマイノリティの本質的な問題とは、自分や他人にウソをつき続けることによる後ろめたさから、自尊心がなくなっていくこと。「社会的承認」が得られず、自分が生きていていいのか分からなくなってしまうことなんだと思うんですね。

今は、カミングアウトをしないという選択がウソをついていることだとは思いません。しかし、高校生、大学1年生の頃の僕は毎日のようにウソをつくことを後ろめたく思っていました。

誰が好きなの?なんて話に適当に合わせて、男の子みたい!って言われて嬉しいのにそんなことないよと困り顔をして見せる。嫌われたくない、と言うよりは、気持ち悪がられたくないから。

僕は自殺をしたいとは思いませんでしたが、生きていたいとも思いませんでした。自分の本音をひた隠して「ウソ」を繰り返していると、自分の存在が他人事みたいにかすんでいくんですね。

自分の人生がどうでもよくなっていく。積極的に生きようという気力がなくなっていく。

僕が高校生の頃、もう10年近く前になりますが、LGBTなんて言葉を聞いたことはありませんでした。自分の未来を思い描くこともできず、普通の女性として生きていけるかどうかも分からない。かと言って自分が男になってマトモな仕事につけるとも思えませんでした。

自分なんか生きてていいのかな?本当の自分は気持ち悪い人間なんだろうな。いなくなった方が良いのかな?

本質的なセクシャルマイノリティの問題は、同性婚を認めることでも、法整備でも、男女分けのないトイレや更衣室といったハード面の話でもありません。

「あなたは自分の思う性のままで、好きだと思う人を好きでいて、生きていていいんだ」

こういった社会的承認を得て、自分を責めずに生きていられること。今回は同性婚の容認が高校生に安心感を与えましたが、本質的にはその安心感こそが重要だったんだと思います。だから、法やハード面が整うことも必要ではあるけど、それらがなくても自分が自分を認めてていて、誰かに認められている安心感がある人はセクシャルマイノリティであろうと堂々と自分の人生を生きていけるのだと思うのです。

自尊心を削られ、不安を抱え、自分の人生を他人事みたいに感じながら大人になる。そんな子供が1人でも減ったらいいなと思います。

 

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