FTMの友達から「やっぱり戸籍を変えようと思う」と言う話から考えたこと
こんにちは、ジャンです。最近FTMの友人から戸籍を男に変えて生きていこうと思うという連絡をもらいました。僕も最近そのことについて考えることがあったので、記事にしてみようと思います。
「戸籍を変えて男として生きていこうかと思ってて」
FTMの友人から最近こんなメッセージをもらいました。彼は今まで戸籍を変えることは考えていなかったようですが、パートナーができて、その彼女と将来のことを話すうちにやはり戸籍を変えて生きていく方が日本で暮らすには良いのではないか?と考えだしたということでした。
日本では性同一性障害の男性が戸籍上の父親となれる「前例」ができています。
性同一性障害の男性を「父」と認定、最高裁 第三者から精子提供
戸籍を変え、婚姻関係を持ち、子供ができれば、戸籍上の「本当の父親」になれるわけです。彼の言うように日本で普通の男性と同じように家庭を築きたいのであれば、最も認められやすい方法だと思います。
身体にメスを入れなければ「家族」にはなれない?
しかし、僕が引っかかるのはそれが日本のルールの中でだから、という点です。
タイに来て思うことがあります。タイでは戸籍の変更はできません。胸をとっても、生殖腺をとっても戸籍上の性はずっと女性なのです。だからなのか、レディボーイが手術をするケースに比べると、いわゆるトムボーイが手術をするケースは少ないようです。学校の先生に聞いた話で先生も当事者ではないので、レディボーイもホルモンだけやって手術はしていないのかもしれません。
確かにトムボーイはよく見かけますが、ホルモン注射はしていないようです。それでも彼らはコミュニティの中で女性でも男性でもなく、トムボーイとして受け入れられています。
しかしもしタイでも戸籍の変更が可能であれば手術までする人はもう少し増えるのではないかと思うのです。逆に言えば、日本で手術をしても戸籍が変えられず結婚もできないならもう少し手術をしたい!というFTMが減るのではないか?と思うのです。
前回のヒロトさんの記事のように体格に恵まれたFTMもいればそうでない人もいます。僕はどちらかと言えば後者で、身長もかなり低い方です男としてはあれですが、これはこれでかわいがられるので満足しています。こんなサイズでもホルモン後は「めちゃくちゃちっちゃい男の人」と思われることが多いので、すごい威力だとは思います。
ただ、体にメスを入れるというレベルになると、本当にそれが必要なのか考えてしまいます。胸は確かに生活の場面で普通の男性なら上半身裸になるシーンもあるでしょうから、手術も考えられます。しかし下半身となると、そこを見るのはかなり限られた人だけでしょう。
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環境はだれが作る?
僕は名前も知らないお役所の人に僕のことを男だと思ってほしいわけではありません。僕が生きている狭い狭い世界の片隅である生活圏内で生きている人が僕のことを男だと思って、いや女扱いしなければそれでいい。マイナンバーの導入でなかなか隠し通すのは難しくなっていますけれども。
僕が受け取ったメッセージの中で少し違和感を覚えたのは彼女さんの「いま、あなたが男として生活できているのは9割方、環境要因だよね」という部分。確かにそうなのかもしれません。でも、その9割の環境も彼の人格や彼自身が作り上げてきたものです。何も、担任の先生みたいなのがついてきて「この子は体は女性だけど心は男性です。だから男性として扱ってあげましょうね」なんて言ってくれたわけではないのです。
新しい環境の中で自分をどう説明するのか、いつも戸惑っていました。今も戸惑います。でもそれらは場数で鍛えていくしかない。新しい環境でどうやって振る舞うのか。自分にとって居心地のいい環境を作るのはほかでもない自分だからです。
僕にはパートナーはいません。でも「もしジャンくんと家庭を築くなら養子とかになるってことだよね?」なんて話を最近しただけに、僕も戸籍や家族のことを意識してしまいました。僕にだってパートナーはできるかもしれない。大学の先生に「1人分の人生の計画と、2人分の人生の計画を考えておかないといけないよ」と言われたことを思い出しました。
まとめ
言いたいことが多すぎてまとまらないのですが、少なくとも僕は今の日本で「認められて」生きる手段の主流が手術→戸籍であって、この事情に詳しくない人はもちろん、アライの人にもそれが当然となっている風潮に疑問を覚えているのです。