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2018年2月25日完 パイオニアのご愛読ありがとうございました!

教育×LGBT〜十人十色と教わりながら二色しか見えない学校〜

2017/08/20

こんにちは!Cocoです!ふと思ったんです。そういえば、学校で様々なセクシュアリティやLGBTに関して教わったことって一度もなかったなあと。みなさまは、義務教育、高校を含めた12年間、学校という場所でLGBT関連の授業って受けたことがありますか?

LGBTという言葉自体だって耳にするようになったのは大人になってから。今思えば、クラスメイトにも、先生の中にだって当事者の方はいたはず。すぐそこにあるのに ”ない” LGBTの存在。

と、いうことで今回は学校教育とLGBTについて考えてみました。

子どもだってばかじゃない

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いくら学校で習わないといったって、小さな頃から、自分のセクシュアリティに疑問を持ったり、色々な形のセクシュアリティの存在にぼんやーりと気付いていた人も多いはず。

小学生のころからやんちゃなクラスメイトがよくからかって使っていたのは、

「ホモ」「おかま」「おなべ」「やーい!おとこおんなー!」

などというワード。

ちなみに私は小学生の頃、母に「おかま、ホモってどういう意味?」と質問をしたことがあります。

母はいつもと変わらない態度で大人になってから女の人になることを決める人もいるし、男の人が好きになる男の人もいるし…と説明してくれたので「そっか」とただ納得し、子ども心に、それが悪いこと、変なことではないと理解したことを覚えています。

でも一方で、それがクラスメイトからは「からかう対象」になることもわかっていました。

そうなのです、小さい子どもだって、ばかじゃありません。

知らないものには疑問を抱き、小さいながらに周りの空気を敏感に感じます。先生や大人たちがいくら核心に触れないようにしていても、気付いています。

気付いていても、正しい知識が得れない生徒たち。

先生の反応は?

クラスメイトに向かって、おかまやホモと言っている生徒を見た先生は…

やめなさい、と注意をする、もしくは触れない。

子どもたちは、曖昧な意味での認識はあるものの、正しい知識を教わることもない。

「やめなさい」と言われ、なんとなく「良い意味の言葉じゃないのかな」と理解するだけ。

当時、先生自身が生徒をからかうのにそんな言葉を使っていたことも覚えています。「あっち系」と言いながら手を頬にくっつけ、それを見て笑う生徒たち。

「男の子/女の子らしく」「男の子は男の子同士で」「女の子なんだからもっと女の子の友達をつくりなさい」と先生に言われる。

教員の知識不足、軽いつもりの冗談が生徒たちの間違った理解を生んでしまう。

教科書でも異性愛がフツウ?

スカート、ズボン。リボン、ネクタイ、トイレ、水泳の授業。学校内での「男性」と「女性」のカテゴリーで分けを上げるとキリがありません。

学校での授業でセクシュアリティについての話題にはもちろん、教科書に載っている文もイラストも、恋愛や結婚は必ず異性同士。どんな物語を読んでもそこにあるのはいつも王子様とお姫様。そこに多様なセクシュアリティの存在の影はありません。

小さな頃から刷り込まれる ’’恋愛=男女同士でする’’ という方程式がいつしか出来上がり、そこに何の疑問を持つ事がなくなってしまう。

小さい頃に教えられたことって自然に自分の中に根付くから怖いもの。

そして「ホモ」「おかま」「おなべ」というワードをからかい使うクラスメイトたち。

そんな中にいると、その他のセクシュアリティである子どもたちは違和感を抱きながらも誰にも相談できずに「自分はフツウではないのか」「自分ひとりがおかしいんだ」と自己嫌悪に陥ったり、自分を責めてしまう。

マイノリティーなんて名前こそありますが、実はそんなにマイノリティじゃないということにも気づくきっかけすらも当分ない。学校で教えられてきたフツウが世界ではフツウでないことに気づくのは遠い未来。

十人十色と教わりながらも、たったの二色しか見えない学校という場所。

言いたくても言えない先生

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同僚に、カミングアウトをしたいからする。そんな本人の気持ちだけでカミングアウトできる職場がどのくらいあるでしょうか。教育するという立場で、本当はカミングアウトしたいと思っている先生もたくさんいるはず。

しかし、多様なセクシュアリティに触れる学習プログラム等もなく、さらに一緒に働く教員の理解がない学校でだったらカミングアウトしたいと思う先生がいたとしても困難。

まだまだ否定的な教員や保護者が多い中、様々な問題にぶつかる可能性、退職を余儀なくされる場合もありえる。

教育の現場で子どもたちを思うからこそ、自分の意思だけでは動けないという部分も大きいかもしれません。

周りが否定的でなかったとしても、「デリケートな問題だから…」「子どもたちに教えるには早い」などといったナンセンスな意見が多い。

もちろん当事者でなくても、本心では子どもたちに色々なセクシュアリティの形、自分自身の経験やたくさんの選択肢を教えたい。でも教えられない、とやるせない気持ちで声を殺している先生の方は数知れないでしょう。

LGBTという言葉は広がってきた今。しかし、学校という場所ではどうなんだろう?学校教員の理解、授業内容、生徒たちの認識を見ると、10年前とそこまで変わっていないのでは…と思っていましたが、少し明るくなる記事を見つけました。

2017年度、開隆堂の高校教科書を始めいくつかの教科書でLGBTについて扱うようになったようです。高校生からかい!小学生からじゃないんかい!と思ってしまいましたがこれはきっとたくさんの方々の努力や思いが詰まった素晴らしい教科書。

そう、それぐらい社会、世界は変わっていくものです。

人生を歩むための知識を得る学校という場所で、多様なセクシュアリティの存在をひた隠すのはあまりにも不自然だし、セクシュアリティに対してネガティブなイメージを作り出すだけな気がします。

「LGBT」が教科書に載った。一歩前進。でも、それで何が変わるんだろう?

ということで、次回では「LGBTが教科書に載ったその先の疑問を考えます。

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