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2018年2月25日完 パイオニアのご愛読ありがとうございました!

怒っているのは非当事者?めっちゃ今更保毛尾田保毛男の話

こんにちは、ジャンです。Twitterにも書きましたが、めちゃくちゃ今更例の保毛尾田保毛男(ほもおだほもお)の話です。僕はコレって本当に当事者ばかりが怒ってるんだろうか?と思ったので、そこら辺の考察をまとめていきたいと思います。

本当に怒っているのは誰?

保毛尾田保毛男炎上騒ぎの経緯

保毛尾田保毛男の話はかなり話題になったので皆さんご存知かもしれませんが、事の経緯を簡単にまとめてみたいと思います。

2017年9月28日放送の「とんねるずのみなさんのおかげでした 30周年記念SP」に、男性同性愛者を模した「保毛尾田保毛男」というキャラクターが登場

→共演者と「あんた、ホモなんでしょ?」「ホモでなくて、あくまでも噂なの」などとのやり取りを繰り広げた様子が、セクシャルマイノリティを揶揄し、笑いのネタにしていると批判される

→批判を受け、フジテレビの宮内正喜社長は9月29日の定例会見で、「不快な面をお持ちになった方がいたことは大変遺憾なこと」と謝罪(超速いね)

ざっとこんな感じだったわけです。

 

LGBT界隈の有名人も反応

この大騒ぎには有名人も反応。

そして杉山文野さんの発言をウーマンラッシュアワーの村本さんが引用して「被害者面すんな」と発言

これに今度はNPO法人フローレンス代表の駒崎さんが反論

さてさて、この一連の流れはまた別でネットニュースになりました。炎上が加速した訳ですね。

ウーマン村本 保毛尾田保毛男騒動への持論展開で“炎上”

僕が今この3者の持論を載せたのは訳があるのです。この流れ、どこかおかしいと思いませんか?論点ずれてない?って思いませんか?

 

「行き過ぎた炎上」の構造

ここで思い出したのは小野ほりでいさんのこちらの記事

悪いことをした人を攻撃して何が悪いの?

小野ほりでいさんの記事はあほらしくて笑えて、でもためになります。

この中でミカ先輩が行き過ぎた炎上が起こる構造について解説してくれています。

 

ono_m01 行きすぎた炎上は「当事者でない人が他人のために怒る」ことによって始まるの。

 

ono_enjou_06

人間、自分の利益のために怒ると傍目にかっこ悪い・・・

だから大抵、「他人のために怒る」という構図を好むわ

ono_m01 誰かのために怒るのはかっこよくて気持ちいい・・・だからどうしてもエスカレートしてしまうの。

 

ono_m01 戦争ですら、「これは利益のためです」とは言わずに「あくまで××のため」と建前を取るようにね。

 

ono_enjou_07

 

ono_m01 さらにネットバトル的な観点からも、「他人のために怒る」は有効な手段なの。

 

ono_m01 つまり、自分の発言に対する反論を全て「代理の弱者」に受けさせ、「弱者になんてことを言うんだ」と論点がズラせる。

 

ono_e01 卑劣だなあ

 

ono_mbikkuriegao

 

そう・・・論点がズレてしまうことこそ炎上の最大の欠点!

悪いことをした人を攻撃して何が悪いの? オモコロより引用

 

別にフローレンスの駒崎さんが卑劣だと言いたいわけではありません。でも大なり小なり、当事者よりもその周りの人が怒っている、もっと悪い言い方をすれば正義を振りかざしている構造があって話が大きくなっていっているのでは?ということです。

それを象徴するのが次に取り上げる記事です。

 

当事者不在の正義

ゲイの友人から「久々にネットニュースで納得した。100%じゃないけど。」と送られてきたのがこちら。

フジ「保毛尾田保毛男」騒動に思う “当事者不在の正義”の怖さ

今回の件は「ホモ」に関することなので、ゲイコミュニティのA氏の意見だが、「今回の番組でゲイコミュニティも大騒ぎになっているが、意見としては二分している」ということだ。「批判している人もいるが、たいしたことじゃないと考える人も多い」という。また、ニューハーフコミュニティのB氏も、「周囲はあまり気にしていないと感じる」とのことだ。

(中略)

言いたいことは、フジテレビや番組を批判している人たちも、「当事者であるLGBTQの人たちの声をちゃんと聞いて批判しているのか」ということだ。このような、社会的正義を背景にした批判では、当事者でもない人間が「当事者はこう感じている」と決め込んで批判するケースも多い。実際、前述のB氏は「関係ない人がワイワイ騒いでいるイメージがある」と言う。むしろ、「マイノリティの人たちのことをもっと考えろ、もっと寄り添え」とか主張している人たちの言動が、当事者を困惑させている。それは本当に、当事者の声を聞いて寄り添っていることになるのだろうか。

(中略)

番組批判がまるでLGBTQの人たちの総意であるかのような言説は事実ではない。しかし、日常生活でマイノリティと接することのない人たちは、自分たちの思い込みが絶対的な正義だと信じやすい。その思い込みが、マイノリティのコミュニティを壊すこともある。僕が今回伝えたいのは、その危険性だ。

フジ「保毛尾田保毛男」騒動に思う “当事者不在の正義”の怖さ より引用(太字は筆者による)

 

この記事の筆者が感じていた疑問はまさに僕自身もそういぶかしんでいた点です。世間で声高に叫ばれているほどLGBTは傷ついたのか?ということ。

もちろん、声をあげることもできない子供や、世間に公表していない人もいると思います。でも何をしたって誰かが傷ついたり批判が出たりすることは少なからずあろうことを、今回のケースでは正義を振りかざす「関係ない人たちの怒り」が事態を大きくしていった感がどうしてもぬぐえないのです

 

フジテレビを叩くための餌なのでは?

そしてもう一点、さっきの小野ほりでいさんの同じ記事の中で言われていて今回の件に当てはまることがあります。

それは「炎上は一見すると「悪いことをした人が」「批判される」という構図をとっている。でも実のところ「悪いことをした」ということそのものは重要な要素ではない。要するに重要なのは対象が「ムカつく」ということで、失言や悪行は「叩く口実ができた」ということに過ぎない」という部分。

僕の知る限りですが、最近フジテレビ程叩かれているテレビ局はないのでは?というくらい、フジテレビの批判記事はたくさんあります。

更に言えば「とんねるずのみなさんのおかげでした」という番組自体も割と批判記事を書かれている番組であるように思います。

つまりみんなそもそもフジテレビやとんねるずが好きではなかったからこそ、ここぞとばかりにホットなキーワード「LGBT」を行使して叩いたんじゃなかろうか?というわけなのです。

 

 

まとめ

今回のような番組を「おもしろい、もっとやれ」とはもちろん思いませんが、当事者として一言いいたいのは、LGBT=すぐに怒るし気を遣わないといけない面倒な人たち、って思われるのはもっといやだってことですね。

簡単に白黒つけられる話ではありません。しかし当事者の中でも賛否両論あってみんながみんな怒っているわけではないということを、特にLGBTの知り合いがいない人に知ってほしいですね

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-FTM, Jan, LGBTアライ, LGBTカミングアウト, LGBT学校生活, トランスジェンダー, バイセクシャル, レズビアン, 性同一性障害