「みんなと同じ」は安心材料にならない。
こんにちは、ジャンです。今でこそ世間に認識されているセクシャルマイノリティ。「男になりたくても、同性が好きでも、あなたも同じ人間なんだから大丈夫よ」という一見優しさあふれる常套句に疑問を持ったことはないでしょうか?「みんなと同じ」に安心してる場合じゃねぇぞ!っていうのが今回のテーマです。
みんなと同じだから安心なんてこたぁ、ない
差別をしてはいけないのはなぜ?
突然ですが、なぜ差別をしてはいけないのでしょうか?かわいそうだから?悪いことだから?それとも相手だって自分と同じ人間なんだから、なのでしょうか。
最近twitterでもこんなツイートを発見しました。
子供をインターに入れて、思ったこと
日本の学校「差別はいけません。みんな同じ人間なのです」
インター「差別はいけません。みんな違う人間なのです」
同じこと言うのにアプローチが全然違う
— ムーチョ@ホームステイのホスト (@mucho) 2017年12月26日
これを見てもらうとピンときやすいと思うのですが、日本での差別をしてはいけないのアプローチは「みんな同じ人間だから」という前提です。つまりこの「みんな同じ」が良いことだとされていることになります。出る杭は打たれるということわざもあるように、画一化された社会だともいえるかもしれません。
レールに乗った人生
だから画一化された社会に対して時に若者は声高にこう叫びます。
「レールに乗った人生なんて嫌だ!」
僕はレールに乗った人生を否定しませんし、レールに乗れない人もいる以上は乗れることそのものが才能だと考えています。だからレールに乗れる人を尊敬しています。
セクシャルマイノリティの多くはこのレールに乗れないことが多くあります。勿論乗れる人もいますが、特にトランスジェンダーだと制服が嫌で学校に行かなくなったり、就職活動でしんどくなってやめてしまうこともあるでしょう。
大変恐縮ですが、ちょっと僕の話をさせてください。
僕は何とか大学を出るところまでは割とレールに乗っかっていたのですが、気がつけばろくに社会人経験もないまま協力隊になってしまいました。でも僕は必死にこう思っていました。
「性別はおかしくても普通の大人になりたい!」
普通の大人になぜなりたい?
僕がこんなにレールから脱線しながらも「普通になりたい」と思ったのは、セクシャルマイノリティでも「みんなと同じ普通の大人」として社会の中に溶け込んで生きてける、だから希望をもって生きてほしいと若い世代に伝えたいという気持ちからでした。
ところが今の世の中、セクシャルマイノリティはどちらかと言えば徐々に守られた存在になってきました。パートナーシップ条例や、性別適合手術に公的保険を適用することがほぼ決まったことなどからもそう言えるでしょう。勿論課題は山積みですが。
でも僕の上記の考え方そのものが少し異常だったんです。「みんなと同じ普通の人間」なんて考え方そのものが間違っていて、そもそもセクシャルマイノリティだろうが外国籍だろうが「みんな違う人間」なんですよね。
「普通でありたい」という自分の言葉が僕に呪いをかけたかのように、本当は普通じゃ満足できないくせに不自然に普通を目指そうとしていた。そんなことに気が付いた2017年だったのであります。
多様性のある社会
そして最初の話に戻ると、多様性を認めている世の中ってのは、「あなたも皆と同じ人間なんだから大丈夫」じゃなくて「あなたも私も皆それぞれ違う人間なんだから大丈夫」っていう安心の仕方ができる世の中のことだと思うんですね。
みんなが独立した個であるという前提は日本人には少し違和感があるのかもしれませんし、僕もかつてはそうでしたが、変化の激しい時代には独立した個である必要があります。
ただ、それが日本人っぽくない考え方かと言うと明治時代にもちゃんとそれを言っている人はいました。
一身独立して、一国独立す
国を構成する一人一人の人間が独立心と自尊心を築き、自分の信念を貫き通せる人間になってこそ、国は発展するという福沢諭吉先生の教えです。
(あ、一万円札の人だ!って思ってる人!福沢諭吉はすごくいいこと言ってるので本を読んでみてくださいね!僕も1万円札は大好きです。)
一人一人は独立した個であり違う人間なのだから、多様性があって当たり前なのです。
寧ろ今の世の中で抜きん出たければ、皆と同じで安心している場合じゃないんですよね。みんなと同じのままじゃやべぇな、くらいの気持ちがないと特にセクシャルマイノリティはまだまだ大変だと思うんですよ。努力なんてカッコ悪い世の中になりましたが、正しくて根拠のある努力を続けることはやはり必要なのでしょう。
まとめ
みんな違って、みんないい。なんて言葉でまとめてしまうのはいかがなもんかと思いますが、要はそういうことなんですよね。
しいたけ占いでもうお座は2018年に奇跡を起こすらしいので(笑)、みんなと同じになるためにではなく、一歩抜きんでるために行動する2018年にしていきたいところです。
みなさま、良いお年を。