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2018年2月25日完 パイオニアのご愛読ありがとうございました!

男女平等は女性の都合なのか?〜性別を越えた平等とは〜

こんにちは、Cocoです!何にでもすぐ順位をつけたがる私達ですが、先日こんな数字が目に止まりました。日本は世界144カ国の中で114位。これは『ジェンダーギャップ指数』の順位なのですが、1に近いほど平等ということなので、この数字だけを見ると日本という国はかなり男女不平等な現状ってことになります。

男女平等を!と口にするのは簡単ですが、一体私たちは何を基準に平等を謳うべきなのでしょうか?

この指数は世界経済フォーラムの調査で出されたもので、男女格差の度合いを経済活動の参加と機会、教育、健康と寿命、政治への関与から評価し、導かされた数字です。(そういった側面だけで見ると、確かに男女の間に『ギャップ』が生まれてしまうのは当然なのでしょうが。)

ちなみにCocoの住むカナダは16位でした。

そもそも女性は『男女平等』に何を求めているのか

女性差別があれば男性差別もあるわけですが、世間では『女性差別』に光を当てがちです。日本で一般的に言われることはこんな感じでしょうか?

-結婚したら仕事を辞め、子育てと家事をするもの。

-結婚するんだから相手(男性)の名字に変える。

-女性がお茶くみをするという習慣。

-子供のことで仕事を休むと文句を言われる。

-男性と同じ仕事をしているのに、出世できない。管理職は男性ばかり。

-職場でのセクハラ。

-女人禁制の大相撲の土俵、神社

女人禁制の神社など伝統や言い伝えとしてあるものに関しては、まあそういうこともあるよね、と個人的には女性差別だとは感じませんが、やはり『女なんだから』といって会社での評価が低かったり、セクハラの対象になることは現実に起きていますし、あからさまな男尊女卑の考えが根付いたおじさんも未だにたくさんいて、そういったことはやはり不快に感じます。

では、こういうのはどうでしょうか?

-男性がデート代を出すのは当たり前。レディーファーストができる男性は素敵。

-道で酔っぱらいに絡まれていて、通りすがりの男性に助けてもらったらキュンときちゃう女性。

-女性が専業主婦で家事、子育てをし、男性が外で働いている家庭。

よくあることです。

これらを嫌がる女性は少ないのではないでしょうか?むしろ男性に対し、それらを期待している人のほうが多いのでは…?

しかし『差別』という話になるとどうでしょう?こういったことも…

なんで男だからってお金を多く支払ったりしなきゃいけないんだ!

助けなかったからって「男のくせに」なんて言われた!

専業主夫をしていると世間からヒモ扱い…。

「それって女性の都合じゃん!男性差別じゃん!!!」

男性差別になり得るのです。

他にも細かいことを言うと、女性専用の設備やお店、レディース割引、痴漢やセクハラなどの加害者と聞くと男性を思い浮かべる(確かにね、男性が加害者のほうが多いのだけれども女性が加害者の場合もあるもんね?)

そういったものも男性差別じゃないのか?…キリがなくなってきました。

そうなんです、『差別』という話になるともうキリがなくなってしまいます。さらには「そうっちゃそうだけど…」という微妙な境目のものもどんどんでてきます。

性別の差は実際ある

自分よりも力のない女性が目の前で重たい荷物を運んでいるのを助ける男性。これは自然なシチュエーションではないでしょうか。

遅くまで営業しているコンビニや飲食店などで、夜中の時間帯に女性だけが働くところはあまりみかけません。これは万が一何かあった時(タチの悪い酔っぱらい、強盗など)女性だけなのとそこに男性がいるのとで危険性が格段に違うので安全を考慮してのことでしょう。

「女性、子どもに手を上げてはいけない、助けてあげたい」それは差別ではなく、区別であり、男女を区別することが必ず悪なわけではありません。

やはり男性のほうが比較的肉体的にパワーがあります。結局みんな、男性だから、女性だからこうあるべきという概念に無意識ながらも従って行動しているのでしょう。

ジェンダーレスという言葉も最近は耳にしますが、本能として、ほとんどの女性は「守られたい」生き物で、男性は「守りたい」生き物なのかもしれません。

そういった男女の間でどうしても生じる『差』や『区別』を無視することは不可能です。無理やりな平等を求めすぎると、不自然になってしまいます。

なので、何事も平等にとはいっても、そうはなかなかいかない。となると、何を基準にして平等を定めればいいのでしょうか。

結局人それぞれ

人間という複雑な生命体を『女性と男性』という2つのカテゴリーに収めることは決してできません。

外でばりばり働くよりも、家庭を守る方が性に合っているという男性もいれば、私はもっと社会で活躍したいという女性もいる。ボクサーになって戦いたい女の子もいるし、ドレスを着たい男の子も、家庭で家事、育児に性を出したい男性もいます。

そしてそれらには、何の問題もありません。何を選択するかは自分次第だし、本当にやりたいことを知っているのは自分だけ。それに従って人生を歩むことは当然のことです。

ではなぜ『女性差別』が叫ばれるのか?きっと現実の社会の中では、社会で活躍する女性は『男勝り』であることが求められてしまうことが多いからではないでしょうか。

男性社会の中でバカにされないように、弱い所を見せないように、セクハラに合わないように、そんな理由から強さを全面に押し出して戦う。そういった女性をキャリアウーマンと呼び、かっこいいと言われる。

もちろんそれが苦ではない人ならいいけど、男性に合わせることが正直しんどいけどそうしないと相手にされない、ばかにされると無理やりにキャリアウーマンという鉄の鎧を着けて働いている女性もたくさんいる。そんな環境が不平等に拍車をかけているのでは?

何かに合わせることなく自分のままで活躍できる環境があって初めて本当の平等が成り立つのではないのか!と思うのです。

男性が男性らしさを失わず。女性が女性らしさを隠すこと無く。性別の差をも超えて自分らしさというものを押さえつけることなく。

その人の能力や可能性だけに焦点を当て、社会でも世間でも認めてもらえるような権利を与えられるシステムに国がしてくれるというのが理想であり、それがきっと『平等』なのでしょう。

しかしそこがまた難しい。誰が何を望んでいるのか。どれを選択するのか。どう扱われることが幸せなのか。何億人といる人口そのひとりひとりが性別も越え、納得する国を作るにはどうしたらいいのか。わかりません。そんな世界が存在するのは黄泉の国くらいな気がしてきました。

まとめ

忘れてはいけないのは、保育所の待機児童問題、正社員の育児休暇、社会進出において与えられる権利の格差。世間の声。全ての人達が好きなことで活躍しようにもできない社会の仕組みがたくさんあります。

そういった制度やそれにすっかり慣れてしまって鈍ってしまっている私達の認識は、改善しなければいけません。

男だから女だからと力関係を利用したり、理不尽なことはもちろん差別です。ばかばかしい男尊女卑を振りかざす人たちは、相手にもしたくないのが事実ですが、恐ろしいことに社会にはそんな人がうじゃうじゃと普通の顔をして机に座っています。そんな奴らを相手に日々戦うなんてぞっとしてしまいます。

そういうとんでもない意識を持つ人が絶滅するように、企業はそんな雰囲気を排除する努力をしないといけない。

平等への1番の近道は、私達ひとりひとりの意識も違いを認め、性別がどうのという前に、他人と協力をして働くことを意識することではないでしょうか。

しかし「女性専用車両があるならなんで男性専用車両はないんだ」という輩みたく、あれは差別だ、じゃあこれも差別じゃないのか、となんでもよってたかって差別だと言って取り上げるのも、平等という本来の意味を見失うだけ。

男性が得意で女性が不得意なこともあり、もちろんその反対のこともあり、もちろん例外もある。得意なこと、やりたいこと、性質、個性はひとりひとり違う。違うから、お互いない部分を埋め合って助け合うことができる。

凸凹に違いはあれど優劣はない。そういう『当たり前』である原点をもう一度見つめ直すことが必要なのだと感じます。

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