LGBT、アライ。結局思うところは…

こんにちは!Cocoです!パイオニアは活動停止ということで、これがCocoの最後の記事になります。みなさん、今までありがとうございました。感謝の気持ちを込めて最後の記事を書かせて頂きます。

結局のところ…

私はパイオニアでの活動にあたり、LGBT関連の記事も執筆してきました。私自身はストレートの女。私の記事にはアライというタグが付いたりしています。

カナダで暮らすようになってからはLGBTやアライという言葉が日本にいるときよりも身近なものになりました。

パイオニアのメンバーになってから、LGBTのことをもっと調べたりするようにもなりました。もっと考えたりもしました。

でもそんな中でも、どれだけ考えてみても調べてみても、わかったことはLGBT当事者であろうがなかろうが、結局みんな同じだな、ということだけ。

悩んだり、泣いたり、妬んだり、自分が嫌いだったり、盲目に幸せを探したり、勘違いしたり、人の目を気にしたり。

一生懸命仕事をしたり、人を思いやったり、楽しいことを見つけたり、自分を好きになろうと努力したり。

そんなふうに、みんなこの世をなにかしら悪戦苦闘しながら生きています。男も女もそうじゃない人もサラリーマンも漫画家も学生も。

色んな人達の意見や見解、悩みやアドバイスを聞いていたら、もう性別なんてものは超越してきます。もはや性別の問題ではなくなってきます。

さらに正直、私は特に自分で「私はアライだ」と思ったこともないし、アライになるように行動してたわけでもないです。

アライという言葉をあえて使うなら、何もLGBTと関連した言葉ではないような気がします。

人の気持ちをきちんと考えられる、冷静に物事を考えれる、我がのことばかりで行動しない、きっとそんな人なら自覚がなくても何に対してもアライなのだと思います。そんな人に、なりたいとは思っていますが。

涙目で見ているひまはない

LGBT当事者の人の意見。もちろん数え切れないくらいの人がいるわけだからそれも色々なわけだけど、インターネットやメディアを通して俯瞰で見ていると、なんとなーく2つのタイプがあるなぁ、と思います。

謙虚で、いたって冷静に、自分の境遇、経験、考えを話す人、LGBT全体に対していちいち敏感じゃない人。

反対に、異様に自分のセクシャリティを必要以上に主張したり、自分の境遇がかわいそうだと自己憐憫に浸り、他人に認めて欲しい人。LGBT全体に対して敏感に反応する人。

前者は、堂々としている人たちです。自分自身をちゃんとある程度自分でわかっているから、もしくはわかろうとしてるから、他人の戯言にいちいち反応しません。あーして欲しい、もしもこうなら自分はもっとこうなのに、とかあまり言いません。

もちろん悩むことも、たまには心がクサクサすることもありますが、自己がきちんとあるのでちゃんとかっこいい人間に戻れます。

ところが後者は、涙目でしか世界を見ていない人たちです。

なんでも他人頼みで、わかってほしい、なんでみんなわかってくれないの、となんでも涙のフィルターをかけて見てるから、全てが辛いになります。ぼやけた涙が邪魔をして、誰かを、何かを、憎んだりすることになります。実に暗いです。だから、自分を憐れみ、世間から見てもかわいそうな人間になってしまいます。

これはLGBT当事者という前に、ひとりの人間としての問題です。

もちろん、LGBT当事者にとって現実的な問題もたくさんあります。社会の仕組みは決してすばらしいものとは言えません。

馬鹿みたいな理論を突きつけてくる話にならない厄介な人たちもいます。

でも、世界は広いです。とーーっても広いです。全く話の通じない人もいれば、通じる人もいます。あたりまえだけど。

なので、あーだこーだでもだってと口を動かしたり、自分のかわいそうな話をブログに綴ったり、もしくは自分の良い映りの顔面だけをSNSにアップするばかりでは何も変わりません。

自分の辛い境遇や、ありのままの私を愛して論は決して免罪符にはなってくれません。

辛いことや苦しいことがあってそれをどうにかしたいなら自分ががんばるのみです。世の中が変わるのを待っている時間はありません。

愚痴や弱音を吐くのもいいけど、それより吸収です。たくさん本を読んだりして、色んな人の人生を知って、先人たちの叡智を学ぶ。それらを吸収して自分のものにする。

そしてどうせ吐くなら、そうやって吸収した良いアイディアを、また誰かのために吐くほうが、よっぽど健康じゃないだろうか?

もう一度言いますが、これはLGBT当事者の話じゃありません。どんな人間にも当てはまることです。

誰しもが、涙目で世界を見ているひまはないのです。つまらないです。もったいない。

神社やお寺、教会で何を願う?

幸せになれますように。不幸が訪れませんように。良いことがありますように。素敵な恋人、友達ができますように。

そんなことばかりお願いしているようでは神様仏様もがっかりするんじゃなかろうか。

旅にでるのも同じです。自分を探しに旅にでるだけで、自分なんてものはどこにもいません。

なぜならそれら全てが他人任せだからです。

素敵な恋人や友達が欲しいなら、幸せになりたいなら、自分が素敵に、かっこよくなる努力をするのです。たくさんの人にじゃなくていい、何人かにわかってもらえるように、あんたなら大丈夫と言われるような、憧れられるような人に。

完璧にはなれないし、なる必要もありませんが、そんな努力をしている人はなにがあっても輝いています。

すると、類は友を呼ぶとはよく言ったもので、自然に同じようなキラキラした人が集まるし、努力をしているぶん絶対に良いことのほうがいっぱいあります。それでもたまには不幸なこともあるのは、人生ですもの、仕方がありません。でもそんな素敵なあなたはどんな試練があろうが乗り越えられるはずです。

結果、わざわざ旅にでて自分を探す必要なんてありません。もしそれが、何かに挑んでいくような旅ではなく、新しい環境に逃げたいだけならなおさらです。

どこにいても自分を支配しているのは自分。つまり変わりたいならどこの国にいても変われるし、傷つくのは怖いから、面倒くさいからと放っておくとずっとそのまま。

だから、旅や留学やワーキングホリデーを考える人も、どうせ行くなら覚悟をして自分を成長させる旅にしてほしいな、と思います。闇雲になにかを探すんじゃなくて、成長できたらその旅はこれからの人生で素晴らしい経験になる。

最後に

長々と偉そうなことも言ってしまいましたが、私はまだまだ未熟で生まれたての赤子のようなものです。ので、パイオニアではもうみなさんに会えませんが、これからも世界の片隅で努力したりたまに怠けたりして一生懸命生きていきます。

みなさんも、死ぬ時に「まあまあ、よくやったぞ!」と自分に言ってあげれるように、素敵な人生をつくっていってくださいね。

最後にパイオニアでの記事を通してみなさんと出会えたこと、心から感謝しております。ほんとうにありがとうございました!

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